2008年の6月にアット驚くべく心筋梗塞で倒れ、手術をしたものの、将来の生活の不安を感じた末娘が、「お母さん、コスタリカにおいでよ。ここは季候も一年中温暖な春みたいだし、人々はとても親切でおおらかだし、物価も日本よりずーと安いし、住み易いよ。家のことはお手伝いさん、従業韻、庭師などがいるから、自分で何もする必要ないし、病院も英語のできるお医者さんがいるきちっとした大病院があるから大丈夫。」と言ってくれ、これ以上日本で一人暮らしを続ける自信もなく、また、他の家族全員の賛成もあり、2008年11月の末に初めてコスタリカに移住すべく入国しました。
来る前はやはり不安でした。その最も大きなものは、心臓手術後の医療設備のことでした。日本で手術を受けた病院の主治医からは、「コスタリカですか。東京のお兄様の所へ引越すというのであれば話しは別ですが。コスタリカですか。そのような開発国、第三諸国へ引越すというのは、医療面からお薦めできません。現在の病状に対してその国の医療設備がどの程度まで対応できるか判りませんので、そういうリスクをおかしてでも行かれるというのであれば留めはしませんが、ご自分の責任でお願いします。」という主治医のお言葉を後ろに、迎えに来てくれた娘と一緒に日本を立ちました。
米国経由で、丸2日かけてコスタリカの首都サンホセに着くことになるのですが、飛行機のサービスも本当に違うのですね。娘が私の体に堪えるだろうからとビジネスクラスの席を取ってくれたので、椅子が簡易ベッドのようになり、毛布をかけてもらって眠れるのです。そして、食事も上等なものを出してくれ、何も不自由のない飛行の旅。また、歩くことが困難な私のために、車椅子係の人が飛行機の着陸後すぐに迎えに来てくれ、次のターミナルまで連れて行ってくれるのです。何もかも利用者にとって使い易いサービスになっているので、これまで、静岡県興津町という狭い世界の中にいた私にはビックリすることばかりでした。
こちらに来た当時は86歳でしたが、日本にいるとどうしても老人という考えが私達老人の意識の中核にあるような気がしたのですが、こちらに来て先ず肌で感じるのが、老人だからどうのこうのという空気が感じられないということでした。日本では老人会を主体とした行動ばかりをしていたのですが、こちらにきて、そういう会もないようだし、淋しいといえば淋しいのですが、考えようによっては、それは素晴らしいことではないかしらという気もしてきました。老人
というレッテルを貼ってそれに安住するかわりに、自分は何をしたくて、何が できるのかを、一人の人間として模索しながら人生を純粋に生きていくという感じがしています。
コスタリカでは、挨拶する時、「Como le va?」とか、「Que tal?」とか言うらしいのですが、何とその返事として、[Pura Vida!」と、つまり、「純粋な生活!」というふうに答えるのだそうです。
これから先、この「Pura vida(純粋な生活)」というものがどういうことを意味するのか、少しずつ探りながら、新しく私の第二の故郷となるコスタリカ、そしてアテナス市での生活の内容と、私の中で起きている意識の変化や心の軌跡(そして奇跡)について、このブログを通して皆さんと交流をはかっていければと願っています。
一人でも多くの方に読んでいただきたく思いますので、コメントを送ってくださったり、または友人や知人の方々に私のブログのアドレスを教えていただけるととても嬉しいです。ご質問のある方はいつでもご連絡を下さい。お待ちしています。
佐々木よしい
お母様、
ブログ読ませて頂きました。
コスタリカで生き生きと前向きに生活されてる姿が目に浮かびます。
これからノブログ楽しみにしています!
投稿情報: Yoko Yamagishi | 2010/06/30 08:46