先週はコスタリカに来ることになった由来について主に触れましたが、とにかく、こちらに来るまでの間、とても不安でした。言葉も通じないし、何もかも分らないし、病気だし。。。と涙がこぼれるばかりでした。成田空港でその話をカウンターのお姉さんにしたら、飴玉をくれ、「娘さんが一緒だから大丈夫ですよ。」と言ってくれました。(86歳のお婆さんに飴玉とは、客観的に見みると、チョット滑稽と思われるかもしれませんが、私としてはその人の親切がとても嬉しかったのです。その時の気持ちを今思い出しても涙がでてきます。)
先週書いたように、快適な飛行機の旅を終え、ようやくコスタリカ国の首都サンホセ市にあるフアン・サンタマリア空港に着きました。荷物は娘と一緒に持てるだけ持ってきたので、税関でその幾つかを開けろと言われたりしましたが、問題なく通過。そしていよいよ、コスタリカの大地にご挨拶です。
改札を出た所で待っていたのは、私の知らない現地の男性で、初対面の私の印象にはチョット怖い感じがしました。(「結構ハンサムな従業員だよ」とか娘は言っていたのですがね。。。)名前はガブリエルとか。何度彼の名前を繰り返されても私にはできず、面倒なので、「ガブリ」と覚えることにしました。
ガブリの運転で、空港を出て高速道路に入ったとのことですが、全く記憶になく、覚えているのは唯一つ、行く先々が山と谷、そしてまた山と谷、車に乗っていると、車が8の字になって登ったり下ったりで、目が回るのです。
峠みち 曲がりくねって 先見えぬ
【コスタリカの道は、山から谷に曲がり、曲がりくねって、行く先が見えぬ。突然車が前から出て来たり、その度にひやひやする。高血圧がもっと高くなるのではないかと心配だ。】
「一体、娘は私をどんな所に連れていくのだろう?」とますます不安が高まりました。こっちが不安と悲しさで心臓がつぶれそうになっているというのに、娘とガブリは楽しそうに訳の分らない言葉で話したり、笑ったりしています。まったく私がこんなに不安なのに、と面白くありませんでした。
しばらく行くと、大きなコンクリートの白壁と赤い大きな門が見えてきました。そこに入っても、車は止まることなく竹や椰子の木などの間を通りぬける。一体どんな所なのだろうと、不安は募るばかり。すると、大きな駐車場で車が止まり、そこで
皆が暖かく迎えてくれました。私と9歳しか年の違わない娘の夫ロンさん、もうすぐ15歳になるという孫息子、お手伝いさんで近所に住んでいるテラという女性、そして工事を任されているガブリとその弟子のサンチアゴ全員が、これまでに経験したことがない位暖かく迎えてくれました。テラなどは、私を最初から「ママーン」と呼んで、抱きしめてくれるのです。
その抱きしめるというのが、こちらの国の習慣らしいのですが、最初にそれを見た時はビックリして、何処を向いていいのやら、どういう顔をして皆あんなことするのだろうかと、見ない振りをして横目でみたり、恥ずかしいやら何やらで、本当にビックリしました。よくよく見ると、女性同士はほっぺとほっぺをくっつけてチュッチュッとするのです。女性と男性の挨拶も同じですが、男性同士は握手だけのようです。
ほっぺチュッチュッの習慣、最初はあんな事とんでもないとか、嫌とか、恥ずかしいと思ったのに、何と、一度それを経験してしまうと、今度は、やめられなくなりました。今では、向こうからしてくれれば大歓迎。知っている人なら私からもよって行けるようになりました。
このようにして、私のコスタリカ生活が始りました。次回の号を楽しみにしていてください。
佐々木よしい
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