No. 3
新しい故郷となるアテナス市、実際にはそこから約三キロ位離れたところにあるリオ・グランデという小さな町から2キロ位入ったパン・デ・アスカ(直訳すると砂糖パンという意味)地域で、休暇を楽しむために外国からくる人達用のペンションを経営している娘の家に住むようになったのが、2008年11月26日でした。
11月末だというのに、天気は信じれられない位よく、日本的に見るなら春から夏にかけての温度。いつも22度位から32度位を行ったり来たり。朝夕はとても涼しいので寝やすく、日中は温度があがり、プールに入って楽しむには最高。楽しそうに泳ぐ家族やお客様を見ると、とても羨ましいのだが、「泳ぎを習ったら」といくら薦められても、年だし、昔々この娘のアメリカの家のプールで孫娘にせがまれプールに入って溺れそうになった記憶が鮮明に脳裏に焼きついていて、とんでもない。でも、泳げたらどんなに楽しいだろうか。。。
日本では水着というと何か若い綺麗な人達のものという印象を受け、私達老人には全く無縁のものだと思っていました。このような不自由な考え方は私の世代だけなのだろうか?それとも一般的に、日本の女性は子供を産んだ後には水着を着なくなるのではないだろうか?それと反対に、このペンションに来るお客様の殆どが、水着がはちきれそうになるような格好をしたデブッチョの老人や中年の人達だが、平気でプールに入り、楽しそうに泳いだり、日向ぼっこをしている。日本なら、「あんなデブッチョなのに、よくも恥ずかしくないな。」とか言われそうだ。
ということで、人目を気にせず自由に楽しむという、日本ではチョット考えられない生活を目の当たりにする生活が始りました。何を見ても、聞いても、経験しても、これまでと同じ対応の仕方では事がうまく運ばないのです。例えば、朝昼晩と食事は三食ともきちっと決められた時間に家族全員が、皆同じものを食べてというふうに私は教えられ、実行してきました。でも、現在は皆が皆そういう生活をしていないのだそうです。
朝が九時 昼飯12時で 晩も九時
【ずっこけ食事で、こまりもの。時間はあってもないようだ。今までこんなことしたことがない。一食位は抜きもいいが、薬飲むのにこまりもの。コスタリカ暮らしはいいかげん。ロンさんに「おなかすきましたか?」と聞かれたが、晩の九時じゃ、チョット遅い。時々、食べ物を口にする人は気にはならないだろうが、三食だけの人にはちょっとつらい。】
この家では、娘とその夫と彼らの15歳の息子は、朝食にそれぞれ全く違ったものを、自分達の生活のパターン合わせて食べるのです。私にはそれが、信じられませんでした。父親は朝早くオートミールにバナナとミルクを入れ、どういうわけかその中に梅干を一個入れ、毎日同じものを食べる。私の娘はその2時間後に、ある時には野菜炒めと御飯、そしてコーヒーなどなど。息子はというと、父親の食べた30分後に卵を2個から3個、油がぎらぎらのベーコン、炒めたポテトと野菜とパンというふうにです。それら全員の食べ物を、父親のロンさんが毎朝せっせと作るのです。
ロンさんが 呼んでくれると ご飯だよ
何と不経済で、面倒で、贅沢な生活をしているのだろうと、最初は本当にビックリしたり、イラついたりしましたが、じゃ、自分の朝ごはんは何が食べたいと聞かれると、「みんなが食べるものでいいよ。」と最初は遠慮をして言っていたのです。だから、オートミールを食べたり、卵やポテトを食べたり、葉野菜が好きな娘に合わせて野菜炒めを食べたりしてみたのですが、結構つらいものがあり、その内に食欲が無くなってきました。
これまでは、自分は「食べ物は何でも好きです。」と言ってきましたが、実際にそういう状況に身をおき、出されるものを食べ続けるということをしてみると、自分には食べ物の好き嫌いがあるのだという事実に気付きました。例えば、コスタリカの人達は米と煮豆と野菜を常食としているのですが、その米は長粒米で、その炊き方は、いわゆる「めっこ飯」で、私が食べると必ずと言っていいほど下痢をしてしまいます。煮豆も訳の分らない塩味で、とても私には食べられるものではありません。
文化と同じく、これまで「自分は何でも好きです。」と言ってきたのは、日本という井戸の中での話しで、いったんその井戸を出、違う井戸、そしてさらに大きな湖や海に出た時、これまでの居心地のいい井戸とあまりに環境が違うため、最初は溺れるのではないかしらという不安と居心地の悪さでいっぱいでした。
このように、自分の好きなものが食べられず、最初の内はイライラしたり、悲しくなったり、ホームシックになったりしました。「何が好き?」と聞かれてもハッキリとそれを表現するのは図々しいと思っていたので、娘といえども言えなかったのです。娘だから、腹芸で私の「日本人の気持ち」を何とか分ってくれるだろうと期待していたのですが、必ず、「お母さんは何がいい?」と聞かれるたびに、その場では言いたいことが口からでず、後になって小言としてでてくるのです。
こういう経験をしてからは、他の人が食べるものが健康によくないとか、何だとか、こうしろとか、ああしろとか、それまで無意識のうちに言っていたのですが、そういう回数がだんだん減っていきました。私達日本人の口に合うものが、必ずしも文化の違う人々の口に合うとは限らないし、その反対も言えるからです。
正直言って、あのコスタリカ風の【めっこ飯】や、ごてごてした肉料理を日に三度食べさせられたのでは、生きた心地がしない。「各々の文化にはそれ特有の知恵があるんだよ」と娘はよく言います。「だから、自分の文化が一番良いと思いこみ、他人のやることや文化を認めずに、自分達のやり方を他に強要しようとすると、最終的には自分が苦しむことになるよ。」と言う娘の言葉が、食べ物を通して何となく分る気がするようになるまで、かなりの時間がかかりました。
とにかく、こうして、私のコスタリカの生活は食べ物の違いから始りました。誰が何と言っても、私には、日本のふっくら御飯、梅干、塩辛、お刺身、納豆、焼き魚、美味しい新鮮な豆腐がいい。それらが、毎日食べられるということは、まさに奇跡、神様の恩恵ですと思えるようになりました。これは、日本に
いた時にはまったく考えもつかなかったことでした。人生、いくつになっても学ぶことがあるのですね。こういうふうにして、私の日常がはじまりました。では、次回を楽しみにしていてください。よしい
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