「よしいさん、何でそんな貧乏な国に行くんだよ。そんな所へ行かないで、いつまでも日本にいればいいじゃないか。」と日本を出る前に聞いたコスタリカに関する話しは、どれもこれも否定的なニュアンスを含んだもので、それが私の心配の大きな原因になっていました。心臓手術後の病み上がりということもあり、私はそういう善意で言って下さる方々の言葉が暗示する内容をそのまま受けとり、この国にやってきました。
何かを見る場合、サングラスをかけると、同じものが本来の自然な形で見えなくなります。形は同じはずなのに、その映る姿が全く違って見え、かもし出される雰囲気やエネルギーが全く違って感じられます。だから、私はサングラスをかけないのですが、コスタリカに来て初めて、自分がいかに沢山のサングラスをかけて生活してきたかに気づきました。つまり、コスタリカ=貧乏国、何もない国、教育の低い国、頭の悪い人ばかり、医療施設が整っていない、まずい御飯、孤独、基幹設備が整っていない、優しい人がいない(貧乏人は他に対して優しくなれるわけがない)等々、それはスゴイ数のサングラスをかけていたのです。
まあ、よくもこんなに沢山の色めがねがかけられたものだと今になって思うのですが、来た当初は本当にそう思い込んでいたので、自分がそういう考えをしているということすら、気づいてはいませんでした。
ところがです。私達の家から何処に行くにも乗用車で行くのですが、この周辺の道路は何処も舗装されています。そして、どこの道路にも、車、車でそのの量のすごいこと。何処からこんなに車がくるのだろうと思う位、車が多いのです。それも、アメリカなどですと、古い、半分壊れたような車も多いのですが、この国の車は新しく見えるものが多く、また、何っていうんですか、あの大きい車も結構多いのです。娘からそれは四輪駆動車と言うのだとききましたが、それらは結構高額なんだそうです。この国では車の製造をしていないので、車は全て輸入され、輸入税がたんとかかるのだそうです。だから、同じ車を日本で買うのと比較すれば、日本で買う方が安いということになるのでしょう。
それなら尚のこと、この「貧しい国」であるはずのコスタリカに住む人達が何でこんなに沢山の高額な車に乗れるのかが不思議です。それに、ガソリン代も日本と同じ位、アメリカより少し高めだとききました。これまた、不思議です。
不思議なことに気づき始めると、不思議な目が開発されるのでしょうか、もっと不思議なことが見えてきます。私のコスタリカ滞在のビサの取得を担当してくださる弁護士さんは、サンホセにある一流ホテルの社長も兼ねているAG氏なのですが、到着して間もない頃、彼の経営しているホテルに会いに行きました。まだ、30代になるかならないか位のとてもハンサムな弁護士さんで、私にとても優しく対応してくれました。
この国では、誰もかれも私のような老人にとても優しい言葉をかけてくれます。また、その言い方が優しいのです。目を細めて、本当に自分の母親を見るように微笑んでくれるのです。今は弁護士というよりは、そのホテルの社長業が主体なので、国内外問わずとてもお忙しい方なのに、初対面の私にしっかりと時間をかけてくれ、丁寧に話しを聞いてくれ、説明してくれました。彼は、毎週一回、必ず自分のお母様とランチをしては、近況を報告し合うのだそうです。一流ホテルの社長がですよ!
そういう風に、母親を大切にするというのは、このAG氏だけではないようです。娘がペンション業【Casa de Megumi Vacation Rentals: www.vrbo.com/206308】 のビジネスのために、となり町のグレシア市とサンホセ市両方に事務所を抱える弁護事務所に業務を依頼することがあるのですが、そこの弁護士事務所所長さんRM氏はもう60歳をちょっと超した位のお方ですが、火・木曜日にはお母様がお住いのグレシア市の事務所にきて仕事をし、毎週火曜日の昼食は80歳半ばのお母様と必ず一緒にするのだそうです。だから、娘が11時位の予約を取って仕事の話をしていても、11時55分になると、必ず、本当に、必ず、「今から、母とランチをする予定になっています。」と言って立ち去るそうです。
日本にいた時、こういう話を話しとして聞いていた時には、「すごく怠けものだ。」と思ったものでした。「特に男は、仕事が第一。仕事の日にお昼御飯のために母親に会いに行くなんて。とんでもない。」と、私は本当にしっかりと信じていました。「そんなことしているから、貧乏人や貧乏国は貧乏なんだ。当たり前だ。」と。考えてみれば、自分も母親なのですが。。。
じゃ、これらの社長や弁護士さんは、貧乏人でしょうか?とんでもない!自分の立場が恥ずかしくなる位、彼らはお金持ちで、海外にも自由自在に行ける身分であり、教養もあり、何でも知っておられる。(あーあ、恥ずかしい!自分の横柄さ、心の狭さ、どぎつい色めがねをかけ涼しい顔でコスタリカ人を観察し、その色めがねの色が正しいと信じ込んでいた自分がとても恥ずかしい。)
そのように親を大切にするということは、金持ちで教養のある層の人達だけなのかと思ったら、どうも、そうではないようです。どこの人も同じようなことをしているらしいのです。私が毛染めに行くサロンの30代のオーナ女性SR女史の家族は、毎週日曜日に家族全員で、午前中は夫の親を訪問し、午後は彼女の親を訪問し、草刈りから始り、何から何まで必要な手助けを全てしてくるそうです。それが、毎週なのだそうです。毎週ですよ!しかも、家族全員それを楽しみにしていると言うのです。
コスタリカは、どの家にも必ずテラスという屋根つきのベランダみたいなところがあり、そこに椅子やテーブルをおいて、食事をしたり、家族や友人が団欒をします。街中でも住宅地でも同じです。「毎日同じような顔の人と話をしていて、よくも飽きないものだな。」と最初は思いました。
でも、よく考えてみると、それはお互いがお互いを楽しみ、慈しみ、受け入れているってことですよね。そう思うと、日本人の建前ばかりで、本音を言わない人間関係のあり方に考えさせられるようになりました。よくよく考えるとこの国に住む人達は、本当に幸せではないだろうか。特に、老人は。。。と。
数ヶ月前に、「自国に住む人間の満足度(Happiness Index)」に関する、欧州の人が主体となって行った世界的な調査の指標が発表されたそうです。(参照:http://www.ecosalon.com/costa-ricans-blow-their-horn-considered-happiest-people/)
その指標によると、調査された諸国のうち、コスタリカ人の満足度指数が世界で一番高かったそうです。つまり、「この国に住んでいる自分は本当に幸福者だ」と思っている人の数【率】が多いということです。その調査の仕方がどうのこうのとか、何を持って満足度を計るのかとか、そういうことよりも、一人でも多くの人達が自分の人生を幸せだと思え、それを、建前と本音とか、謙遜とかいうことを気にせずに、正直に言えること自体が私には素晴らしいことのように思えるのです。
自分の人生をいま振返ってみて見ると、私は自分で気づかないうちに、本当に心から言いたいことを言わずに、建前主体で物事を言い、生きてきたような気がします。例えば、この町にアメリカ人の退職者でケイという女性とそのご主人がやっている喫茶店があるのですが、私がそこに行く度に彼女が、「ハーイ、よしい!今日もあなたは本当に綺麗ね!」と心から言ってくれるのです。それに対する最初の頃の私の返答は、「まー、ケイさん、冗談がお上手ね。この88歳の皺だらけのお婆さんに向かって何をおっしゃるの。ちっとも綺麗じゃありませんよ。」などと言って、それを娘に通訳させたのです。
本音として喉から手がでるほど言いたかったのは、「えっ!本当にそう思いますか?今日、ここに来るために、朝の五時起きで、シャンプー・リンスをして、電気カーラーで髪を巻き、髪を結い、今の季節に合わせた洋服をきて、黒ずんだ顔色を隠して華やかに見せるためにお化粧をして、アイシャドーまでしてきたのよ。本当に綺麗に、若々しくみえますか?ありがとう!私の一日がこれで明るくなったわ!」なのです。
皆さん、上記の私の建前と本音に関して、皆さんがケイさんの立場だったとしたら、どちらの返事の方が嬉しいかしら?私に教えて下さい。その際には、[email protected]までメイルをください。私には自分の気持ちがどちらが本当なのか分からない位、建前ばかりを言ってきたような気がするので、本音を言うと、嫌われるとか、傲慢に思われるとか、村八分にされるとか。。。知らない内に不安になってしまうのだと思います。
メメちゃん 嬉しかったよ 宝箱
【孫娘のメグがアメリカからたくさん日本のものを入れた箱を、おばあちゃんにと送ってくれた。暖かい気持ち。これだけで胸がいっぱいだ。この気持ちを大切に大切に、頂くことにしようと心に誓う。】
【孫娘メグと孫息子マイクルと一緒に】
「この家ではどんなことであれ、好いことも嫌なことも、すべて正直に言ってね。」と娘は言います。そう言われても、その全体的な意味が理解できず、最初の頃は、まー、これでもか、これでもかと否定的なことばかり口から出てきたようです。
話すこと 正直すぎて しかられる
【時々、思い余って、思いやりと思って言葉にする。老いと若さでは考えも異なり、今と昔は正反対の世の中。良かれと思って言った言葉で、しかられる始末。】
「三つ子の魂百まで」とか言いますが(これでいいのでしたっけ?)、この否定的なものの考え方を直すのって、本当に大変です。テレビを見るとよく評論家の方達は「良いところを見ましょう。」とか、「励ましましょう。」とか言ってますが、彼ら自身を含む日本人全員が、自分自身の本音に幸せ感を感じることができれば、つまりすべての物事の中に「善と愛と美」を見つけることができれば、Happiness Indexに日本が一番となってでてくる日も遠くはないかもしれません。
その日まで、私は自分の「心から言いたいこと」が何なのか、物事の中に喜びを見つけるとはどういうことかなどに気づくことを練習することにします。
では、また来週まで、お元気で!
Que tenga buen dia! よしい
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